プロ棋士=プログラマという時代

非常に残念ながら、将棋においてプログラムは人間を超えてしまった。

将棋はオセロやチェス、囲碁などと同じジャンルで、究極的には先手必勝か後手必勝か引き分けに収束する。

たとえばオセロなんかだとほとんど完全に解明されてしまっていて、後手が必勝する。

将棋はオセロのようにシンプルではないので、プロに勝ったとは言っても必勝法にはまだ遠い。

しかし、プログラムが人間を超えたということは、例えば解説者は必要なくなる。

プログラムがはじき出した「正解」から、プロ棋士が外れた手を指してしまうことによる減点を示していくだけでいいのだ。

「あーっと、羽生これはいけません、3五歩が正解のこの場面、4二銀成と打ってしまいました!」

メジャーリーグよりレベルの劣る日本プロ野球にもこれだけファンがいるのだから、プロ棋士の魅力がなくなるわけではないが、少なくともそこはすでに最高峰ではないのだ。

位置づけ的には、円周率をたくさん言える人、あたりだろうか。


いつかは、将棋にも必勝法が生まれるだろう。

その時こそプロスポーツとしての将棋は死ぬんだろうけど、それまでの最高峰はプログラム対プログラムだ。

プログラムは選択肢の減っていく終盤に強いので、投了のタイミングはプロ棋士のそれよりはるかに早いだろう。

それこそ勝負は居合抜きのように一瞬で決まる。

「後手5二角まで、32手で先手投了」

見ている人間にはまだ五分五分にしか見えない。

棋譜の記憶や、網羅的に先を読むというタスクは、すべてCPUに移譲していかなくてはいけない。

将棋というゲームの真髄をとらえ、いかに効率よく時間を使わずに計算するか、そこが将棋に残された最後のクリエイティブだ。

目の前の手を読むことではなく、より抽象的な概念にゲームのステージは移行する。

プロ棋士たちがプログラムと共闘し、互いの将棋観をぶつけあう、プログラマ棋士が将棋のネクストステージだ。